11月2日(木)
7時に松本駅集合、ロータリーのところで待っていると諏訪から真拓くんが大きな車で拾ってくれる。ナビに松本から秋田県までの道のりと時間が表示されていて、あと8時間55分で着く予定らしい。車には、真拓くんのパートナーのさおちゃんと、きみほちゃん、ありさちゃんが乗っていた。高速に乗って、これからひたすら北を目指していく。 距離が長いのでみんなで交代しながら運転をした。私はペーパードライバーだし、高速を運転したことが一回しかなくて不安だったけど、年下のみんなが普通の顔してやってのけていたから、なんだか自分にもできるような気がして私も新潟に入ってから運転をした。 そしたら、急にどしゃぶりの雨が降ってきて、視界がものすごく悪い!ほんとうに信じられないくらい雨が降ってきた。助手席のさおちゃんがワイパーの動かし方を教えてくれたけど、いくらワイパーを素早く動かしてもほとんど何も見えないくらい強い雨がたくさん降っていた。そこから1時間半くらい運転して、どこか知らない小さなSAで降りたときにはすっかり小雨になっていた。 私たちは日本海側をずっと走った。新潟は縦に長いから、ずっと新潟県を走っているような気持ちになる。そこから山形を通って、気がついたら秋田に入っていた。 もうその時点ですっかり外は暗くなっていた。私たちが目指しているのは北秋田市にある根子(ねっこ)という人口100人の集落で、そこで大雅君は暮らしている。やっと秋田に入ったと思ったけど、根子があまりにも遠かった。 街灯のほとんどない道が続いて、途中でイタチか狸が飛び出してきて車とぶつかった。生きている物を轢いてしまったやわらかい衝突の感触。そのあとにごりごりと鳴ったのは背骨をタイヤが轢いて潰した音。社内にうすく気まずい空気が広がった。誰かが何か言った気がしたけどよく聞こえなかった。私の耳には、さっきの背骨が潰れた音がまだ残っていた。
根子について今日泊まらせてもらうお家へ向かう。キッチンに大きなボールが二個あって、ぶつ切りにされた肉と血で赤くそまった水。その隣にビニール袋に入れられた熊の手が置いてあった。今朝、熊が捕れたから解体して鍋にしています、と家の人に言われる。おそるおそる熊の手を持ってみると、想像よりもずっと重い。
みんなで大雅君の家まで歩いて、熊鍋と日本酒、秋田の漬物などをご馳走になった。 いつもZOOM越しに見ていた大雅君の部屋が急にリアルに現れて、いろいろな解像度が一気にあがった感じ。 冬になると雪で埋まって外が見えなくなる、という窓の近くに私は座っていて、雪深い秋田の冬を想像しながらお酒を飲んだ。 外に出ると、真っ暗な空に見たことないくらいたくさんの星が瞬いている。ずっと見ているとこのまま吸い込まれてしまいそうだった。辺りはほんとうに静かで、川に流れる水の音だけが聞こえる。
みんなで空を見上げながら、また宿までの道を歩いて帰った。
11月3日(金)
朝起きて、ここはどこだっけ……と知らない天井を見る。隣で寝ているありさちゃんを起こさないようにそろそろと布団から抜け出して、一階に降りていく。 居間の大きな窓から光が溢れて、一面の紅葉した樹々が見える。
朝になると世界が変わってしまったようにすべてが光っていて、昨日の夜は真っ暗だったせいで何も見えなかったけれど、こんな場所に私はいたんだ、って全身が静かに驚いている。ここから見えるぜんぶが祝福されているみたいにものすごく光っていた。
「熊が出るからひとりで散歩に行ってはだめだよ」って昨晩注意されたことを思いだしながら、でも、だけど、こんなの行かないわけにはいかないでしょう、って自分の中にちょっと強い気持ちをつくってから、玄関を静かにあける。誰にも気づかれないように外にでた。
外は11月とは思えないようなあたたかい空気が満ちていて、湿った落ち葉の匂いがする。 静かで、やわらかい光に包まれていて、ここにある穏やかさは一体なんだろう…?と考えていると、そういえば昨日、大雅くんが「この集落には一軒もお店がなくて、自動販売機すらないからお金を使う場所がないんだよ」と話していたことを思いだす。 人と、自然と、動物の気配しかない、小さな山あいの集落。歩くたびに心がほどけていくような心地がする。
知らない土地を自分の足で、気が向くままに歩くのが私は本当に好きだ。
あまり遠くまでいくと道がわからなくなると思って、途中で引き返して、宿に戻った。起きてきたみんなと朝ご飯を食べる。
おかずで用意してくれてあった梅干しが見たことがないくらい大きくて、4等分にわけて食べた。ご飯に乗せて一緒に食べると、梅だと思っていたそれは実はあんずで、噛むとしっかりとしたあんずの食感と果実の味がした。 このあたりではあんずを梅干しのように漬けて食べるのだそうで、どこかで見つけたらきっと買って帰ろうと思う。
またみんなで車に乗って、秋田市を目指す。
11月4日(土) ワークショップの日。想像していたよりもたくさんの人が集まって来てくれて、うれしい気持ちと、自分はうまくやれるだろうか…という不安な気持ちが交互にくる。人前で話すのはいつだって緊張するし、上手に話せないし、なんか変なことを言ってしまうし、はっきりと向いてない!といつも思う。 だけど最近は、私がうまく話せないからこそ、そこにいる人が集中して耳を傾けてくれて、結果としてその場に一体感のようなものが生まれるのではないか…みたいなことを考えている。それがいいのか悪いのかはわからないので一旦置いておくけど、自分だからできることがあるのかもしれないなあ…とめずらしくポジティブな考え方をしている。
ワークショップのあとは大雅君の母校のAIU(国際教養大学)に連れて行ってもらった。 そこにはすばらしい図書館があると、ネット記事かなにかで以前見たことがあって、いつか足を運んでみたいと思っていたのでうれしかった。
在校生のふたりが構内を案内してくれる。図書館はやっぱりすばらしく、足を踏み入れた瞬間から音が吸い込まれるような静けさを感じた。世界中の本が高い棚にこれでもかと収められている。その間を音をたてないようにそっと歩いてまわった。
さまざまな時代に書かれたたくさんの本たちを見ていると、いま自分は時間という地層の上に立っているのだなあ、と急に思って、そのことが信じられないというか、かなり途方もない気持ちになった。本が本としてつくられて、保管され、読み継がれていくことの意義を肌で感じて、私は言葉をなくす。 あらゆる時代のあらゆる場所に、誰かがいた。そこで何かを思い、伝えようとして言葉を使った。今も昔も変わらずに人間はそういう営みを続けて、遠い時間を越え、ここでまた出会うことができるということ。私はやっぱり途方もない気持ちになって、うまく言葉がでてこない。
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