昨日の朝、といっても10時くらいに有吉さんが起きてきて、原稿書くぞーって意気込みながら部屋に籠って、作業をはじめた。
その日は原稿の締切で、締切の日に書き始めるという心理が私にはわからず、その日のうちに書き上げられなかったらどうしよう…という不安を抱えたくないので原稿は基本的に期日前に仕上げることにしている。これまでテーマに対して文章を書けなかったってこともあまりなくて、自分のペースで仕上げることができるので、締切がないと書けないって言ってるひとをよく見るけど私にはよくわからないな、って思ってた。だけど、同居している人がまさにそのタイプで、間近でみていて、なるほど、なるほど…と思う。
そもそもこの人は締切の意味をちゃんと理解していないのでは、締切のことを「書き始める日」と捉えているんじゃないか、ってこっちが疑いたくなるくらい悠長なようす。
隣の部屋から「うーー」とか「ああ!」とか聞こえてきておもしろい。どこの、何に一体唸っているんだろう。おもしろいので、定期的に見に行ってしまう。
しばらくするとリビングで仕事していた私のところへやってきて「ねえ、あの時に星野さんはどうしてあんなことを言ったんだっけ」とか「あのとき、どんなことを思っていたの?何がいやだった?」とか聞かれる。すこし前の出来事や、それにまつわる心の動きのこと。 私はひとつずつ答えていく。有吉さんは頷いて、また部屋に戻っていって、たぶん何か、そのことを書いている。
お昼と夕方の間みたいな時間になって、お腹がすいたのでハンバーガーをテイクアウトして買ってくる。有吉さんに声をかけると部屋からのそのそ出てきて、よろこんで食べている。なんだか餌付けしているみたい。
どこまで、何を書いたの?とか、どんなことを書いているの?とか聞くと、むにゃむにゃしているから、それ以上はあまり聞かないでおくことにした。ご飯を食べおわると、また巣に戻って行った。
夕方散歩に出て、買い物をして、夜ご飯をふたりぶん作る。ご飯を食べながら有吉さんが「ねえ、書くことってさ、ほんとにすごいね」って唐突に言う。
「言葉にするって、言葉にしてみようとすることで、こうであった、ということになるんだね。なっちゃうんだね」って、言うから、うん、そうだね、そうだよねって頷く。
私はこれまで書くことをしてきたけれど、「書かれる」ということをしたこと(されたこと)がなくて、たぶん有吉さんは私との暮らしについて、私についていま書いている。 書かれるというのはこういう気持ちだったのか。正直こわいし、そうじゃないのに!って弁解したくなることもたくさんある。これまで自分が書いてきたもの、書いてしまった人のことを考えて、これでよかったのかな…って内省する。一度それをはじめると、沼に落ちたみたいに思考がぶくぶく沈んでしまって、こういう答えの出ない内省に対してはどれくらい時間をかければいいのか、どういう態度でいたらいいのかまだよくわからない。
書かれてみて感じるのは、けっこう怖い、ということ。だけど、その人にとっては、それが”そう”だったっていうことを、もっと怖がらずに受け入れてみてもいいんじゃないかということを思った。
書くうえで、書かれる立場になってみる経験は自分にとってこれから大きな意味を持つことになると思う。
有吉さんは深夜になっても作業をつづけていて、私は先に眠る。誰かが隣で起きていて、その気配を感じながら眠るのはなんだか安心する。
朝早くに目が覚めて、iPhoneを見ると「できた!超ながくなった」と3:40にLINEが入っていた。隣の部屋からはしずかな寝息が聞こえてくる。