コロナに罹って一週間。ほとんど完治したと思う。
ずーっと家にいたから体力がすごく落ちてしまった。あと集中力が持たない。もともと散漫な意識がさらにばらばらになって、ひとつのことをやり始めてもすぐ別のことが気になってしまう。これは治るものなのかな。
久しぶりに、恐る恐る外にでたら、風がつめたくて気持ちよかった。光がきれいで、山の形がくっきりと見えて感動してしまった。母とスーパーとドラッグストアに行っただけですごく疲れた。体力が減るのは困るな。来週以降そこそこ予定があるので不安がある。
一週間の隔離生活を振り返ってみると、たくさん本を読んだり、思う存分寝たり、家族と過ごしたりして、なんだか楽しかった。
だけど、ここに書いたようなことは日常的にもやっているし、特別感があるのか?と問われればそんなに普段と変わらない気もする。
大学生の頃は、よく大人から「人生の夏休みがもうすぐ終わるぞ」と脅されたけど、今の私は常に時間があるし、好きな時に寝たり、本を読んだり、気が向くままに過ごせる生活がある。
家族とも猫とも近くなって、たまに煩わしいと感じることもあるし、そう感じられていると思うときもあるけど、基本的にすごく満たされた気持ちでいる。
療養中は、お母さんがご飯を毎食用意してくれてうれしかった。いつまでも親を頼って、甘えてばかりいるけど、いつかそうもできなくなる日が来る予感もひしひしと感じている。
このまま私の家族とたくさんの時間を過ごしたい、という気持ちと同じくらい、自分が自分の意志で家族をつくって楽しく自立して過ごしたいという思いがある。
自立とはどういうことだろう。今でも十分楽しくて、幸せな気持ちなのに、どうしてこのままじゃいけないと思うんだろう。というか、いつのときもなんとなく、ここじゃないどこかを目指すような思考がぼんやりとあって、もちろん人は変化しながら生きていくものだと思うけど、常に現在ではない場所や少し未来のことを考えて生きるのって現在を否定することになっていない…?
私は、今の自分がいる場所が好きで、それをどうやって続けられるかを考えることしか今はできない。何かが失われる可能性とか、希望が経たれる予感とか、そういうことだって考えようと思えばいくらでも考え続けることができる。だけど、今、今、今、今って今が続いて未来に繋がっているのだから、やっぱり大切にするべきなのは今のことなんじゃないのかなって思う。”今を大切にする”ということがどういうことなのかは私はよくわからないのだけど。
家族と一緒にいられてうれしい、お母さんにはずっと元気でいてほしい、妹もずっとふざけ合って今のまま仲良く居たい。こんな今の当たり前が、当たり前じゃなくなる日がきっと来るのだろうけど、その時が来るまでは、自分のささやかな希望を保ちながら、なるべく楽しく生活を続けたい。
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