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  • Writer's picturefuzuki hoshino

20230506

昨日は満月で、厚い雲の中からその光がひろがっているところが見えてきれいだった。夏のはじまりみたいなひんやりしている、どこかさみしい夜だった。

寝る前にまた地震があった。揺れている、と思ったけれど、思っただけでなにもせずに、眠気に飲み込まれるようにしてそのまま寝た。

それで朝になった。外はまだ静か。曇っていて、風はなかった。散歩に行った。


いつも行く高台にある公園、というか墓地でちかくの山、それから遠くの山にかかっている雲を見る。普段ならここからもう少し足を伸ばして、しばらく無目的に歩くようにしているけど、今日はなんとなくこれ以上進む気持ちになれなくて、大きめの石に座って景色を眺めていた。


私のパソコンには、"Yes-いいよ-"というステッカーが貼ってあって、だけど最近の私はずっとNoの感覚にちかく、それは生活の変化、それから自分の変化(というより変化したい、しないとしんどい、という気持ち)、そこからやってくる疲労にうまく対応することができず、気持ちが溜まり滞って進めないような感覚がずっとあった。先月はわりとずっとしんどかった気がする。


滞ったり、どうしようもない気持ちの中にいると、何が自分を苦しい気持ちにさせているのか、ということをよく考えた。

そして結局いつも同じところに戻ってくるのだけど、自分が持っている価値観とか、ひどく狭い考え(特に同じ言語を話せるという条件だけで、価値観や、倫理観みたいな大きな前提までも相手と共有しているような感覚に勝手になってしまっていることに痛いほど気付かされた)によるもので、そこから少しでも自由になるために、本を読んだり人と話をしたり、じたばたと動いていた一ヶ月くらいだった。


おもしろくて、助けられたのは、からだや体癖から人をみる、という野口整体をベースにした考え方や、占星術などの自分ではどうしようもできないくらい大きなものによって世界が、そしてそこに含まれている自分が動かされているというような思想だった。

知ること・学ぶことで視野がひらけていく感覚があって、それが何歳になってもずっと失われないことは、本当に希望だな、と感じる。



そう、それで、今朝は石に座りながらぼんやり遠くのほうを見ていたときに、YesにするためのNoだったのかもしれない、と突然思った。その言葉には手応えというか、何かにふれることができたような感覚があって。


これまでも何度も潜っては、浮上、みたいなことを繰り返してきて、だけど日々はその動きの中にありながら点のようでしかなくて、全体の中で自分の現在地を見つけるようなことは結構むずかしいと感じる。

綿みたいな感情ばかりがからだに溜まって、日々がどんどん流れ続けていくのを眺めながら、何も書けずにいたことは私にとってはとても苦しいことだった。


ことばは世界を表現するためにあるのではなくて、世界を変えるためにあるのである、と誰かが言っていて、私は書くことで変わっていきたい、と思う。

書いたあとの自分が、書く前には見えなかったものが見えるようになって、そこから私が変わるから、世界もいっしょに変わっていけばいい。そんなことを、今は思っている。



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