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  • Writer's picturefuzuki hoshino

20230702

朝、自然に目が覚めて、昨日は雨で一日家から出られなかったから散歩に行った。昨日の夜にたくさん降った雨で川は増水していて、液体のこんにゃくみたいな色の水がすごい勢いで流れていた。その力強さをとても近くで見て、ここに飲み込まれたらどうなるだろう、と考えたら怖くなって足の力が抜けてしまった。 イヤホンの調子がずっと悪くて左耳の充電がすぐに切れる。右耳からは友だちの声(podcast)、左耳はごうごうと鳴る川の音が聴こえている。


最近の考えていること、わかりあえないこと、でもわかってもらいたいこと。そういうのが頭の中を駆ける。自分の望み通りにならないことに対してみんなどんなふうに向き合っているんだろう。

いつかわかり合えると思っているから、こうやってずっと考えたり、急にかなしくなったりするのだろうか。

私は昔から時間をかけて何かをすることが苦手で、自分のペースでゆっくり進むひとに憧れがあった。彼らはどうしてそんなに時間をかけることができるのだろう、と思って、自分にはない、何か大きくて信じられるものをきっと彼らは持っているのだろうと思っていた。

いま思えば、私が憧れていたのは、その速度ではなくて、たぶん彼らが持っているように見えた信念みたいなものだった気がする。

遠くてぼんやりとしているのに、そこへ向かうことのできるたしかさ、みたいな力。 私には見えていない光のいろ。


今回のことは時間をかけてみたいと思っている。まだ見えてはいないけれど、先の方にたしかに、何かが息づいているのを感じることはできている。その何か、見えないものに向かって進むってことを私もやってみたい。


朝日昇るのがだいぶはやくなった。日差しがつよくて夏みたいだ、と思っていたけど、もう昨日から7月になったのだった。7月は自分の誕生月で、もうそれだけでうれしい。


文月という名前は、7月の暦からとられていていて、カレンダーやこの時期の広告なんかで自分の名前を見かけることがこの季節にはある。 それが自分のことを指している訳ではないとわかっているけど、なんだか祝福されているような気持ちになって、7月というだけで私はうれしい。


自分のことや、自分がすることを好きでいられないときもあるけれど、自分の名前のことは好きで、素直にすてきな名前だとずっと思っている。

そして自分の名前を信じられるということが、私の芯になっている気がする。



家に帰ったら昨日から泊まっていたうめちゃんが起きてきて「おはよう」と言う。 朝日がたくさん入るリビングで、なんだか夢の中にいるみたいだ、と思った。 7月に入ったことを意識した瞬間から、見える光が夏の色になって、いま見えているものと、それを感じている心の間には手のひら一枚分くらいのすき間がある。


今日、うめちゃんは朝から仕事で、てきぱきと歯磨きをしたりお湯を沸かしたり、自分の一日をはじめる準備をしている。私は散歩から帰って適度に疲れた体と頭で、その様子を見ている。

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