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Writer's picturefuzuki hoshino

2月1日(木)

午前中は大したことない仕事をさくさくすすめた。仕事をちゃんと進められると社会に紛れられている気がして安心する。その安心した気持ちのままスーパーへ行ったら、空腹の自分が何を食べたいのかまったくわからなくて、また社会から浮き出てしまったような気持ちに引き戻される。菓子パンとかきっと買わないのに、一応パッケージを見て、やっぱり要らないよな、ってなって、じゃあ私は何が欲しいんだろう?ってわからなくて静かにパニックになる。

散々ぐるぐる歩いた挙句、森永のムーンライトを買う。すてきな名前のいいクッキー。

「ムーンライトって中心のところに水脈みたいなみずみずしい部分を感じない?」と脳内で自分に話しかける。「めっちゃわかる。奥歯で静かにしゅん、って噛むと水脈を感じるよね」って自分が同意してくれる。


帰宅して、文芸誌に寄稿するための創作をどうやったら書けるかプロットのようなものを考えてみる。やればやるほど、全然おもしろくない気がしてきてつらい。

最近書くことがしんどい。書きたいものがあるのに全然そこに辿り着ける気がしない。どうやったらそこへ行けるのかもわからない。こういう時に限って締切を知らせる連絡がやたら来る。夕方届いたメールの件名が「〆切が近づいてまいりました」で、こんなに恐ろしい件名をはじめて見た、と思ってスクショを撮った。


2月2日(金)

夜中から発熱して38.3℃。眠れなくて、からだの節々が軋むように痛い。全身があつくて燃えてるんじゃないかって思う。

一日中倒れるように眠っていたけど熱がおさまる気配がまったくない。こんなに永遠に眠れてしまうのがこわい。鼻をかみすぎて、自分だけ膜に包まれているみたいに世界から少しだけ遠い。

からだがずっと熱いのに芯のほうは冷たくて、あらゆる関節が痛む。胸の真ん中に大きな穴が空いている夢を見て、穴のふちを触りながら私はこれまでに何を失ってきたのかを考えている。


2月3日(土)

からだの中に溜め込んだあらゆる要らないものを燃やし尽くそうとしているんじゃないかってくらい、激しく熱があって、それに何度も打たれるようにして気を失って、また気がついて、水だけ摂って、また眠って、と繰り返している。熱は38.5℃からさがらない。


週末、東京で会う予定があった人たちに連絡を入れた。会いたい人たちばっかりだったから、自分のふがいなさに落ち込む。仕方のないことだけど、もっと丈夫だったら……とどうしても思ってしまう。そして、そう思ってすぐに、いや自分よりも大変な人なんてたくさんいるのだから、という考えが頭によぎる。自分の問題を、自分だけのこととしてちゃんと大切にしてあげられないのはどうしてなんだろう。誰かと比べて程度を確かめないと自分の気持ちにすら確証が持てないなんて、自分が可哀想だと思う。


2月4日(日)

窓の外を見たら一面の雪だった。(ゆきだ……)と思う。(うまく声がでない)一晩眠ったら熱はだいぶ下がったようだったけど頭がひどく痛い。隣の家の屋根に積もった雪が、風が吹くたびに粉のように舞い上がって空に消える。

液晶が見られるくらいにはなってきたので、放置していた創作に取り掛かろうとするも、今日も書くことが怖い。書けない代わりに図書館から借りてきた短編小説を読んでいるが、それが文章と向き合うための行為なのか、現実からの逃避なのかわからない。


たまたま読んだ小説は、今もどこかにある世界の断面をそのまま差し出されたように活き活きとしていて、無駄なところがひとつもないと思った。85年前に書かれた作品のようだけれど、古くなくて、むしろずっとこの新鮮さを保ち続けながら読み継がれていくのだろう。

こんなに素晴らしいものが世界にはすでにあるのだから、私はこれからここに何を書いていけばいいのだろう。私が知らないだけで、素晴らしいものが世界にはたくさんある。

そういう事実は、いつもならただひたすらに心が躍ることなのに、今は素直にそう思えずに気持ちを拗らせている。


2月5日(月)

夢の中にSちゃんが出てきた。いま書こうとしている創作の中で、私は憧れという感情について書こうと思っていて、夢の中に彼女があらわれたことで、本当に私が憧れていたのはSちゃんだった、ということを真に思いだした。

当時はその感情にうまく向き合えなかったけれど、これはちゃんと書こう、書かなきゃ、と思って、布団から起きた。思えば、からだはずいぶん軽い。今日は声もちゃんと出るし、もう要らないものがからだの外に出ていったのかもしれない。(って思いたい)

そもそも、これまでやったことないことに取り組んでいるのだからわからなくて、うまくいかなくて当たり前なんだし、その自分のどうにかやろうとしている過程をもっと楽しんでいたい。

いつだって、書くことは行き当たりばったりだったけど、私はどうにかやろうとして、ここまでどうにかやってきたんだから、そのことにもっと胸を張っていてもいいはず。

なるべく楽しく書きたい。書きたいものを書けるように、うまくできなくても手を伸ばしつづけることを恐れないでいたい。


創作を少しずつ進めた。「街に大雪が降った」という文章を書いたら、現実が繋がっているみたいに、外にはたくさんの雪が降り始めた。もしこの調子でずっと降り続くなら、夜までに雪かきをしないといけないなあ、と思いながら今は窓の外を眺めている。

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1月16日(火)

年明けから書いた日記をホームページで公開するということを続けてやっていた。

日記は、自分の感情の整理やできごとの記録のためにやっていたはずなのに、気付いたら見られていることに意識がいってしまっていて、書いている自分と書かれている自分の乖離を感じるようになってきた。日記のリアルタイム性はおもしろいけど、私はそのできごとの延長の中で生きているから、その生煮えみたいな状態を人に差し出すことが、自分のメンタルにとってはあまりよくなくて、無意識に削られていくような感覚になることが段々とわかってきた。

書きたいけど、まだ読まれなくないことがあるし、本当に読まれていいのかわからないことに対して気持ちの決着がつかないうちは、すべてを不特定多数の人に公開するのはやめようと思う。今日からはまた元に戻して、自分のために、自分の気持ちを書いていくことにする。


朝からずっとどんよりしていて、何もかもがうまくいかないような鬱屈した気持ちでいて、有吉さんにもいらいらしてしまった。DVDで『アフターサン』を見た。ずっと自分の心がしんどくて内容が入ってこない。急にパウンドケーキが食べたくなって、家にあるもので焼いてみたけど、オーブンから取り出すときに火傷して泣きたくなった。何もかもがうまくいかなくて、ぜんぶやめたいし、自分が何をしたいのかわからない。こんなにいらいらするのは、ピルを飲み忘れ続けていることが原因かもしれない。ホルモンバランスがあきらかに崩れている。


1月20日(土)

外は霧で真っ白。冬の匂いがする。今日は雪がふるらしい。いまは朝で、すごく穏やかな気持ち。この穏やかさを言葉にしたくない、できればずっととっておきたい。

もう何日も晴れていないから、そろそろ太陽が見たいと思う。

本当はそこにあるはずの太陽のこと、ここにいると無いような気がしてしまう。本当はある、というのはどういうことだろう。ここにあるのを知っている、ということは、思い出すこと?

ときどき私は、実は全部を最初から知っていたんじゃないかって思うことがある。それは感覚的なことでうまく説明ができない。


1月22日(月)

朝起きれたので、「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」を聴きながら川沿いを散歩する。人がいなくて誰ともすれ違わなかったけど、普通に声を出して笑ってしまった。


洗濯を回したのに、ずっしりしてつめたくなった服を触るのがいやで、時期を逃し続ける。重い腰を持ち上げて洗濯機へ向かう。蓋をあけるとばらばらの衣服が激しく回されて、ひとつの大きくて重たい塊になっている。それを頑張って持ち上げてカゴに放り込んで、運び、一個になったそれを解体していく。ヒートテックの袖と、レギンスがぐるぐるに絡まって、これだから冬は!って憤りながら絡まりをほどいていく。干そうとしたら、前回の終わった洗濯物がピンチにまだ干しっぱなしで、それをぱちぱち落としてから、やっと干す段階まで辿りつけた。


午前中一回だけすごく外が明るく光って、晴れた!と思って気持ちを昂らせたらすぐにまたぶ厚い雲がやってきた。今日はその繰り返しみたいな、落ち着きのない日。


夜は家にあった野菜を煮込んでポトフをつくる。煮崩れてぐずぐずになったブロッコリーと最後に入れたパクチーがおいしい。大したものじゃないけど、久しぶりに自分で自分のために料理を作って食べた。


1月24日(水)

週末の展示の準備をしていて、おなかが減ったのでフレンチトーストを作ろうと卵を割ったら、中身をごく自然な流れでゴミ箱に捨てかけて「あー!」って声が出た。ぎりぎりのところでバットの中に落として、事なきを得る。フレンチトーストと一緒に薄く切ったりんごとベーコンも焼いて食べた。

最近ずっと頭の中がうるさくて、集中力が足りてない気がする。

自分が大切にしたいと思ってることをわかってもらえないのはかなしい、と数日前に思ったことを思い出す。それから、前に友だちが電話で「私は自分がこうしたいってことばっかりで、誰かの気持ちのことを一度も考えたことがないのかもしれない」って言っていたことも、一緒に引っ張り出されるように思い出していた。


1月26日(金)

寒いからか景色がものすごくくっきりしていて、山が迫ってくるように見える。真冬のきっぱりとした空の青。今日はよく晴れているから、光がたくさん当たりそうな道を選んで歩いた。


午後からは展示の搬入。屋根裏の部屋をみんなで掃除して、自分のスペースをつくっていった。

久しぶりに初対面の人と話をして、ばきばきに人見知りを発揮してしまう。それが予期せぬことだったので、若干落ち込みそうになるけど、夜もイベントがあるのであまりそれについて考えないようにして手を動かした。


夕方から栞日に移動して、Monthly Writing Clubの準備。その月のことを振り返って、何かを書いてきて、持ち寄って、それを読み合うという会を今年からはじめることにして、それの第一回目。

自分が企画者だと、来てくれた人が楽しんでくれているかどうかがどうしても気になってしまって、いい時間を共有できたと思いながらもお風呂に入りながら「大丈夫だったかな(たぶん大丈夫…)、あの人は楽しめていただろうか(わからない)、自分の発言は誰かを傷つけていないだろうか(わからない)」と、不安と大丈夫のあいだを何度も行ったり来たりしていた。どれくらい入っていたのか、お湯は冷めてしまって、取り残された子どもみたいな気持ちでじっと水に沈んでいた。


布団の中で目をつむると、帰り道に見たあかるい満月の色が目の裏に残っている。 だいたいいつも満月のときに生理になって、そのたびに自分のからだは容れ物なんだと感じる。


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1月11日

午前から打ち合わせ。有吉さんは仕事モードというか対人モードになっていて、その切り替えがすごい。久しぶりに午前中に起きられてうれしそうだった。

やってみたいことを、わかりやすくしたくないと思う一方で、ある程度関わってくれる人にイメージを伝えられるようにわかりやすい言葉を使う必要性も感じていて、そこをどうしていけばいいだろうっていう話をした。

喫茶室の翁堂へ行ってお昼を食べる。頼んだグラタンスパゲティは、焼いたチーズですべてが覆われていて、たくさんの湯気と、じゅわじゅわ音を立てる様子がグルメ漫画の絵みたいだったので写真を撮った。


夜は清水くんと合流してゴローに行った。しめ鯖がおいしくて、お魚がおいしい居酒屋はうれしい。いろいろな種類の焼酎をお湯割りで飲んだ。

帰り道があまりにもさむかったので、冬のいいところを必死に考える。星がきれいに見えるところ、つめたい空気をいっぱい吸い込むと洗われるみたいに気持ちがいいところ、お湯割りがおいしいところ。 2月になったらこれ以上寒くなるのかなって思うと毎年その季節を乗り越えているはずなのにうまく思いだせなくて、なんならあんなに暑かった夏のことだってもう思いだせないし、忘れてしまうということは不便なのか便利なことなのか、どうなんだろう。

街灯のない道から見た空の星がすごくきれいで、時間が止まってしまったみたいだった。


1月12日

川沿いの道を歩いていたら翠さんと遭った。油断しきっているときに思いがけない場所で知り合いに会うと、何かを話さなきゃって思って無駄にそわそわしてしまう。

夕方、打ち合わせをしていたら飯塚さんから「僕は星野さんのことを最も自分勝手な人間だとおもっている」と急に言われたので、愉快な気分になってすごい笑ってしまった。なんでそう思ったのかいろいろと理由を話されたけど、不思議なことに何も覚えていない。内容にぴんときてないのかもしれないし、普通に話を聞いてなかったのかも。 社会性がまじで無いのにあるように振る舞えることができる、ってたしか言ってて、それはそうかもって思った。


1月13日

外は吹雪で、さむすぎる。

30代をどう生き延びるか会議のメンバーさっし、なるみちゃん、うめちゃん(愛子ちゃんは欠席)で「築地」にあつまった。 私は何を考えていたのか(何も考えていなかったのか)自転車に乗っていこうと思って、だけど吹雪で視界が悪すぎて目が空けていられなくなった。一方通行の道だったので、聴覚を研ぎ澄ませて車の音がしないあいだは目を瞑って自転車を漕いだ。築地につくと全身が雪まみれで、みんなは濡れていなくて、なんでだろう?って思ったら傘をさしてきているからだとわかった。ひさしぶりの吹雪で、雪の日は傘をさしたほうがいいという思考があたまからすっかり抜け落ちてしまっていた。


夏までにZINEをつくろう、ということになって、そこに合わせてイベントができるようにみんなで計画を立てようという話をした。未来に楽しみな予定があるのはうれしいから、どんどん楽しみをつくっていきたい。


そのあとはサイゼリヤに移動して原稿を書いた。〆切が近いものを一本とりあえず書けたけど、読み返してみるとこれがおもしろいのかどうかわからない。 気づけば夜になっていて、客層のほとんどが夜ご飯を食べにきている家族になっていた。帰りたいけど、外が寒そうだから帰りたくない葛藤でしばらく固まっていたけれど、パソコンの充電がなくなりそうだったので、帰る決心をして帰宅。


1月14日

電車に乗って小一時間、富士見まで移動する。今日はよく晴れていて、電車から見える山並みがとてもきれい。移動用に駅前で買った小説を読んだり、読まなかったりしながら過ごしていたらあっという間に着いた。


大きく燃える火が見たくて、地元のどんど焼きに参加するために帰省。(とはいってもしょっちゅう帰ってきているから帰省というと大げさな気がする) ひろい田んぼのど真ん中に組まれているやぐらに火をつけると、たちまちすごい火と煙が上がって勢いよく燃える。信じられないくらいの濃い煙が発生して、特撮のセットみたいになっていたので妹を写して写真を撮った。


近所のおじさんが紙コップに日本酒をなみなみと注いでくれて、それを呑みながら燃える火をじっと見つめていた。だんだん、たのしくなってきちゃって火の回りをふらふら歩きまわっていたら、幼馴染の友だちと再会する。

友だちが家まで送ってくれると言ってくれて、車に乗せてもらった。

最近街コンで出会った人とデートに行ったんだけど、あまり話が合わなくてなんだか疲れちゃった、と友だちがこぼしたので、そうなんだ、とうなずく。

別にたぶん恋愛がしたい訳じゃないんだけど、なんかそういうのにずっと執着しちゃって。きっとさみしいんだと思う、まわりが結婚とかすると、自分はこれでいいのかな、このままひとりなのかなって思うと、すごくさみしい気持ちになる、だから出会いがありそうな場所へ行くんだけどそのたびに疲れちゃって、どうしていいのかわからないんだ、という。 私はまたうなずいてみたけど、運転している彼女からそれは見えてなかったかもしれない。

家で降ろしてもらって、またね、ばいばい、会えてうれしかったよ、と言って手を振った。


1月15日

電車に乗って松本に戻る。行くときはいつも長く感じるのに、帰りは時間が半分くらいに感じるのが不思議。終着の「まつもとー」という間延びしたアナウンスのもと、みんなせわしなく銘々の向かいたいほうへ歩いていくから、いつも取り残されるような気持ちになる。


部屋で打ち合わせをしているとリビングがさわがしくて、すぐるとうめちゃんがやってきたみたい。Zoom中にリビングから笑い声が聞こえると自分が発言しているようになってしまうので、ミュートにして自分が発言するときだけミュートを解除して話すようにしたけど「なんだか楽しそうですね」って最後のほうで打ち合わせ相手から言われた。


夜はうちですぐるが寿司を握ってくれる会。料理人のすぐるがつくるご飯はいつもとってもおいしい、家の中にいるのに外でご飯を食べている気持ちになれる。

いろいろなお魚を柵で買ってきてくれて、それを目の前で丁寧に切って握ってくれる。ぜんぶ美味しかったけど、鰯を酢で締めたお寿司が私はいちばん好きだった。

お腹がいっぱいになってだらだらと話していたら、今度はすぐるが打ったという蕎麦をタッパーから取り出して茹でてくれた。

夏にもすぐるが打ちたてのお蕎麦を持ってやってきてくれたのだけど、そのときから格段に味や食感がレベルアップしていて、彼の向上心やホスピタリティにただただ感動する。

リュックの外ポケットに、水筒にいれた出汁(持参)をしまって、自転車で颯爽と帰っていった。


今日は朝から気持ちが落ち込むような出来事があって、最初はそれについて日記を書いていたけど、どうにもこれを公開する気持ちにはなれなくて、後半のたのしかったことを結局書いて残した。


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