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  • Writer's picturefuzuki hoshino

1月11日

午前から打ち合わせ。有吉さんは仕事モードというか対人モードになっていて、その切り替えがすごい。久しぶりに午前中に起きられてうれしそうだった。

やってみたいことを、わかりやすくしたくないと思う一方で、ある程度関わってくれる人にイメージを伝えられるようにわかりやすい言葉を使う必要性も感じていて、そこをどうしていけばいいだろうっていう話をした。

喫茶室の翁堂へ行ってお昼を食べる。頼んだグラタンスパゲティは、焼いたチーズですべてが覆われていて、たくさんの湯気と、じゅわじゅわ音を立てる様子がグルメ漫画の絵みたいだったので写真を撮った。


夜は清水くんと合流してゴローに行った。しめ鯖がおいしくて、お魚がおいしい居酒屋はうれしい。いろいろな種類の焼酎をお湯割りで飲んだ。

帰り道があまりにもさむかったので、冬のいいところを必死に考える。星がきれいに見えるところ、つめたい空気をいっぱい吸い込むと洗われるみたいに気持ちがいいところ、お湯割りがおいしいところ。 2月になったらこれ以上寒くなるのかなって思うと毎年その季節を乗り越えているはずなのにうまく思いだせなくて、なんならあんなに暑かった夏のことだってもう思いだせないし、忘れてしまうということは不便なのか便利なことなのか、どうなんだろう。

街灯のない道から見た空の星がすごくきれいで、時間が止まってしまったみたいだった。


1月12日

川沿いの道を歩いていたら翠さんと遭った。油断しきっているときに思いがけない場所で知り合いに会うと、何かを話さなきゃって思って無駄にそわそわしてしまう。

夕方、打ち合わせをしていたら飯塚さんから「僕は星野さんのことを最も自分勝手な人間だとおもっている」と急に言われたので、愉快な気分になってすごい笑ってしまった。なんでそう思ったのかいろいろと理由を話されたけど、不思議なことに何も覚えていない。内容にぴんときてないのかもしれないし、普通に話を聞いてなかったのかも。 社会性がまじで無いのにあるように振る舞えることができる、ってたしか言ってて、それはそうかもって思った。


1月13日

外は吹雪で、さむすぎる。

30代をどう生き延びるか会議のメンバーさっし、なるみちゃん、うめちゃん(愛子ちゃんは欠席)で「築地」にあつまった。 私は何を考えていたのか(何も考えていなかったのか)自転車に乗っていこうと思って、だけど吹雪で視界が悪すぎて目が空けていられなくなった。一方通行の道だったので、聴覚を研ぎ澄ませて車の音がしないあいだは目を瞑って自転車を漕いだ。築地につくと全身が雪まみれで、みんなは濡れていなくて、なんでだろう?って思ったら傘をさしてきているからだとわかった。ひさしぶりの吹雪で、雪の日は傘をさしたほうがいいという思考があたまからすっかり抜け落ちてしまっていた。


夏までにZINEをつくろう、ということになって、そこに合わせてイベントができるようにみんなで計画を立てようという話をした。未来に楽しみな予定があるのはうれしいから、どんどん楽しみをつくっていきたい。


そのあとはサイゼリヤに移動して原稿を書いた。〆切が近いものを一本とりあえず書けたけど、読み返してみるとこれがおもしろいのかどうかわからない。 気づけば夜になっていて、客層のほとんどが夜ご飯を食べにきている家族になっていた。帰りたいけど、外が寒そうだから帰りたくない葛藤でしばらく固まっていたけれど、パソコンの充電がなくなりそうだったので、帰る決心をして帰宅。


1月14日

電車に乗って小一時間、富士見まで移動する。今日はよく晴れていて、電車から見える山並みがとてもきれい。移動用に駅前で買った小説を読んだり、読まなかったりしながら過ごしていたらあっという間に着いた。


大きく燃える火が見たくて、地元のどんど焼きに参加するために帰省。(とはいってもしょっちゅう帰ってきているから帰省というと大げさな気がする) ひろい田んぼのど真ん中に組まれているやぐらに火をつけると、たちまちすごい火と煙が上がって勢いよく燃える。信じられないくらいの濃い煙が発生して、特撮のセットみたいになっていたので妹を写して写真を撮った。


近所のおじさんが紙コップに日本酒をなみなみと注いでくれて、それを呑みながら燃える火をじっと見つめていた。だんだん、たのしくなってきちゃって火の回りをふらふら歩きまわっていたら、幼馴染の友だちと再会する。

友だちが家まで送ってくれると言ってくれて、車に乗せてもらった。

最近街コンで出会った人とデートに行ったんだけど、あまり話が合わなくてなんだか疲れちゃった、と友だちがこぼしたので、そうなんだ、とうなずく。

別にたぶん恋愛がしたい訳じゃないんだけど、なんかそういうのにずっと執着しちゃって。きっとさみしいんだと思う、まわりが結婚とかすると、自分はこれでいいのかな、このままひとりなのかなって思うと、すごくさみしい気持ちになる、だから出会いがありそうな場所へ行くんだけどそのたびに疲れちゃって、どうしていいのかわからないんだ、という。 私はまたうなずいてみたけど、運転している彼女からそれは見えてなかったかもしれない。

家で降ろしてもらって、またね、ばいばい、会えてうれしかったよ、と言って手を振った。


1月15日

電車に乗って松本に戻る。行くときはいつも長く感じるのに、帰りは時間が半分くらいに感じるのが不思議。終着の「まつもとー」という間延びしたアナウンスのもと、みんなせわしなく銘々の向かいたいほうへ歩いていくから、いつも取り残されるような気持ちになる。


部屋で打ち合わせをしているとリビングがさわがしくて、すぐるとうめちゃんがやってきたみたい。Zoom中にリビングから笑い声が聞こえると自分が発言しているようになってしまうので、ミュートにして自分が発言するときだけミュートを解除して話すようにしたけど「なんだか楽しそうですね」って最後のほうで打ち合わせ相手から言われた。


夜はうちですぐるが寿司を握ってくれる会。料理人のすぐるがつくるご飯はいつもとってもおいしい、家の中にいるのに外でご飯を食べている気持ちになれる。

いろいろなお魚を柵で買ってきてくれて、それを目の前で丁寧に切って握ってくれる。ぜんぶ美味しかったけど、鰯を酢で締めたお寿司が私はいちばん好きだった。

お腹がいっぱいになってだらだらと話していたら、今度はすぐるが打ったという蕎麦をタッパーから取り出して茹でてくれた。

夏にもすぐるが打ちたてのお蕎麦を持ってやってきてくれたのだけど、そのときから格段に味や食感がレベルアップしていて、彼の向上心やホスピタリティにただただ感動する。

リュックの外ポケットに、水筒にいれた出汁(持参)をしまって、自転車で颯爽と帰っていった。


今日は朝から気持ちが落ち込むような出来事があって、最初はそれについて日記を書いていたけど、どうにもこれを公開する気持ちにはなれなくて、後半のたのしかったことを結局書いて残した。


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1月6日

寝ながらひどい脱水症状になって動けなくなる。声も出ないし立ち上がれなくて怖かった。変な夢をたくさん見た。この前『PERFECT DAYS』を観たあとに有吉さんに「モノクロの夢って見たことある?」って聞かれたけど、自分の夢には色が付いているかどうか思い出せなかった。夢の中では色という概念自体が欠落しているような気がする。


1月7日

松本から電車に乗って長野市へ。おととし遠野で出会ったミキちゃんが長野に来ているというので会いに行く。

善光寺まで歩く道中、ミキちゃんはさまざまなものに興味を持って、目を光らせながらそのひとつひとつを写真に収めていく。

こんなふうに世界と関われたらきっと楽しいだろうなあと思いながら、私はその様子を眺めていた。

ミキちゃんから最近の遠野での暮らしや仕事の話を聞いた。遠野祭に行ったとき、はじめて私はほんものの祭りを見たと思った。生きているものと、生きていたものがそこの場所で交わりながら大きなうねりになっていた。土地が持つ力に圧倒されながら過ごした数日間のほとんどを私はミキちゃんが暮らしていたシェアハウスにいて、気づけば神楽踊りの練習に参加していて、祭りの当日も連の中で踊っていた。遠野は不思議な人たちが暮らす、不思議な土地で、そこにいると自分がとても自由になった気持ちになれる。今度はもっとゆっくり訪れたいな。

善光寺で今年二度目のおみくじを引いた。結果は小末吉で、いいのか悪いのかよくわからないまわりくどい文章が記されていた。

結局自分でいい年にしていくから、おみくじなんて関係ない!って言いながら紙を結んだけれど、やっぱり大吉とか出てほしかったなあって、ちょっとだけ思ってる。

ミキちゃんと別れて、そのまましなの鉄道でおばあちゃんの家に向かった。考えごとをしていたら電車を乗り過ごして、気づいたときには西上田という駅にいた。慌てて降りて、乗り換えアプリで調べたら10分後に目的地まで戻れる電車があった。駅のホームは真っ暗で、待合室もなく、骨の芯まで冷え切ってしまいそうな寒さだった。10分間が永遠みたいに感じる。向こうからやっと電車がやって来た。

真っ暗な線路の上を、煌々とした光を放ちながら走って来る電車はどこか現実味がなくて、『銀河鉄道の夜』ってこんな感じかなあとか思いながら乗車する。

降りた駅は駅員が不在で、やっぱり人は誰もいない。改札を抜けたら雪が舞っているのが見えた。

1月8日

10時起床。とても気持ちよく眠って、光に包まれながら起きる。外がいつもより明るかったので、カーテンをあけると雪が積もっていた。雪が降った翌日のあの静けさ。

帰り際におばあちゃんが去年とれたお米を持たせてくれて、リュックに入るだけ野菜を詰められる。ありがたいなあと思いながら、すべての荷物を持つと肩が軋むくらい重たい。松本駅から家までの間に何度も心が折れそうになる。


帰宅してから大雅くんと真拓くんとの定例。今年はどうやって生き延びるつもりなのかふたりに聞いてみた。フリーで仕事をしている人の悩みはだいたい似たようなもので、気持ちを共有できることがうれしい。だけど、考えれば考えるほど、不安は尽きない。ほんとうに今年はどうなるんだろうか。


1月9日

ベランダの近くの陽がよくあたる場所に座って編み物をしているとあっという間にお昼になる。翠さんがやってきて、一緒に月末の合同展示の打ち合わせと、グッズのアクリルキーホルダーを作った。

去年の真夏にもアクキーをふたりでせっせと作って、そしてまた真冬の今もこうやって同じ作業をしている。

ラッカーを塗って、乾かして、表面の紙を剥がして、余計についた色を削り取って磨いていく。一個つくるのにかなり手間がかかるけれど、手を動かして何かができあがるのはやっぱり楽しい。

途中で休憩しにコンビニまで歩いて、チョコクリームが入ったワッフルとコーヒーを買ってまた作業を続けた。気がつけば日が暮れて、あっという間に夜になってしまった。今日は一日がとてもはやく過ぎていく。

お風呂に入ったとき、なんとなく思いつきで湯船に潜ってみたら鼻から思い切りお湯を吸い込んで死ぬかと思った。鼻から喉にかけてすごい水が流れ込んできて、泣きながらむせた。苦しかったけど、普段触れられないところに水が通って、よくわからない感動があった。


1月10日

数か月ぶりに美容院に行って髪の毛を染めた。美容師さんにおまかせしたら深い赤色に紫とピンクを混ぜた色をいれてくれた。


ずっと伸びっぱなしだった前髪も切った。前髪がある状態を見たらやっと自分という感じがして、顔が落ち着く。しばらくは前髪を分けて過ごしていて、それも悪くはないと思ってたけど、鏡を見るたびにどこか落ち着かないような気持ちがあったので、やっと自分の顔になったと思った。


有吉さんがインスタに近況を綴った長文を投稿していて、近況を投稿できるくらいには心が回復してきたのかな、と思う。だけど、すぐそう思ってしまうのは軽率で危険なことかもしれない、とすぐに思い直す。 相手の回復を祈りつつ、私は私で気分よくすごしていたらいいのだし、心配しすぎず、干渉しすぎずという距離感をずっとはかり続けている。


夜は豆腐ハンバーグを作って食べた。

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1月1日 年が明けた。うめちゃんから松本に居るから遊びたいという連絡がきたので、薄川で合流して散歩した。外は1月らしくしっかり寒い。私も今年は親戚と集まるのがなんとなく億劫なので、松本に居ることにする。 イオンで各々好きなドーナツを買って、うちでカフェオレを淹れて食べた。 去年のうちにやろうと思ってずっと放置していた、自分の収支を把握するという作業を手伝ってもらう。久しぶりにマネーフォワードを開いたら見方がぜんぜんわからなかった。いつも、確定申告直後はお金と向き合う意欲があり、レシートを管理したりデータを付けようとしているけれど、しばらくすると本当に何もやらなくなってしまって、自分の極端さにびっくりする。うめちゃんのおかげで昨年の収支をなんとなく把握することができた。 夕方、緊急地震速報が鳴ったかと思ったらすごい揺れが起こった。寝ていた有吉さんも起こして、3人でリビングの机の下に避難した。うちはマンションの3階だからかすごく揺れた。長い横揺れは、高校3年の時に経験した東日本大震災を思い出した。 テレビをつけると北陸の様子と、どんどん広がる被害の速報が流れて、つい吸い込まれるように画面を見てしまう。テレビを消して、買い物に行く。 白菜と豚肉とスライスした大根の鍋を作って食べた。飯山線が止まってすぐる(うめちゃんの夫)が帰れなくなったので、うめちゃんがうちに泊まっていくことに。 みんなでダイアンのYoutubeを見て、交代でお風呂に入って、はやめの時間に眠った。


1月2日

うめちゃんと朝ごはんを食べて(トーストと、コーヒー)、私は洗濯物を干したりして、うめちゃんは昨日の洗い物をしてくれた。この家には当たり前みたいにうめちゃんが居ることが多い。私はそれがうれしい。 夕方、シネマライツに『PERFECT DAYS』を観に行った。最後の朝焼けのシーンが美しくてとてもよかったな。年始の街が静かなときに観られてよかったと思う。 夜は実家に帰った。めずらしく家族みんなが居て、ご飯を食べて、お風呂に入ってあたたかい布団で眠る。私にとって実家は、くつろぐことができて、安心する場所の一つなのだけど、そう思えることが当たり前じゃないんだ、ってことを最近よく考えるようになった。


1月3日

昼過ぎから妹と初詣に行こうと思って、上社へ向かう。ふたりとも三が日の人の多さを甘く考えていて、途中道路の渋滞がひどかったので早々に諦めてミスドへ行き、ドーナツを食べた。 帰りにセリアで毛糸を買って、動画を見ながら無心で編み物をはじめる。ここ数日のニュースやSNSが、震災や痛ましい事故のことばかりで心が削られてしまったみたいで、無心で手を動かすことにすごく癒された。 冬になると突然編み物をしたくなり、春が来るとやめて、また寒くなるとはじめて……と繰り返して今年で3年目。毎年ブランクがしっかりとあるので、いつも最初は編み目の数がおかしくなってしまう。 今日も編み目が合わなくて、何度もほどいては、やり直して少しずつ進めている。


1月4日

朝起きて、なんとなくTwitterとThreadsのアプリを消去した。そこにある今の空気感や、飛び交う言葉を見ると心がしんどい。アプリを消しては、また利便性のためにダウンロードするということを一年で何度か繰り返している。 母と妹と初詣のリベンジで今日も上社へ行く。とても寒かったので参道で甘酒を買った。 お参りをして、100円のおみくじを引く。私は小吉で、今年は何をやってもそんなにうまくいかない年、みたいなことが書いてあった。根拠なんてどこにもないけれど、今年はぜんぶがうまくいくってなぜか本気で思っているから、おみくじに書いてある言葉のことなんてぜんぜん信じてない。


そのあと、能登半島への支援物資を集めて届けるプロジェクトを行っているRebilding Centerへ家で使っていない毛布や防寒具を届けにいく。リビセンは、入口にスタッフがたくさんいて、すごく活気があった。こういうときにすぐに立ち上がって動ける人たちのことを本当に尊敬する。自分にできることなんて小さいけれど、それでも何かすこしでも役に立てたらって思う。 今日も極力ネットを見ないようにして、編み物をしていた。 昨年末から少しずつ読み進めていたカポーティ―の小説を読み終わってしまって、なんだかさみしい。


1月5日

朝、雑草や道が凍っていた。光をきらきらと反射させていて、冬の晴れた朝はとてもきれいだなあと思った。冬のどんよりした曇りの日は、さみしい気持ちになるから苦手。 私は天気に気持ちをすごく左右されている。天気くらいでさみしくなったり、うれしくなったりしたくないとずっと思ってきたけど、だんだんと自分の気分なんてものは天気みたいに簡単に変わってしまうことを理解してきたように思う。 と書いてはみたけれど、一瞬すごく晴れて気分がよくなると、それがずっと続くような気がしてしまう。続けばいいな、って思う。 自分の手には負えないものに期待して、それがうまくいかないと心が細くなり、どうしようもない気持ちになるのをやめることができない。 誰にも見られていないところで泣きたくなる。思い切り喚いたりしたい。そういう自分は絶対に見られたくないと思う一方で、どこかで誰かに知っていてほしいみたいな気持ちもある。

何もかなしくないのに、私にはかなしいことなんて何も起きていないのに、たしかにかなしい気持ちがここにある。自分にはかなしいことが起きていない、ということがかなしいのかもしれない。 なるべく外側に意識を向けられるように、友だちと話したり、散歩をしたりして過ごしている。だから、寒いのはまだなんとか我慢するから、毎日なるべく晴れていてほしいと思う。

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