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  • Writer: fuzuki hoshino
    fuzuki hoshino
  • Mar 12, 2024

3月2日(土)

学生時代のバイト先の先輩でずっと仲良くしてくれているいくさんが遊びにきた。いくさんは仕事が転勤になって宇都宮で暮らしていると思っていたけど、よくよく聞いたら水戸に住んでいるらしい。水戸ってどこですか、どんなところ?と聞くと、これといっていいところがない街と教えてくれた。

荷物を置きにうちに寄る。どこか松本で行きたいところや、したいことはあるか聞くと「特にない」と言うので、いくさんらしくて笑ってしまった。日が暮れてきたので、スーパーに行って食材を買って、一緒にロールキャベツを作った。ご飯を作っていると有吉さんが部屋から出てきて、いくさんを紹介する。3人で一緒にロールキャベツを食べた。有吉さんといくさんは、LE SSERAFIMが好きという話題で意気投合して盛り上がっていた。私がお風呂に入っている間もずっと話し続けていて、私はそこにうまく参加できないのでだんだんと眠くなってきて、自分の部屋に戻ってベッドに入る。リビングからはずっとふたりの話し声が聴こえてきて、私はそれを聞きながら眠りについた。



3月3日(日)

いくさんと山山食堂に朝ご飯を食べに行き、それから松本城まで散歩して、風が強すぎてさむい、さむい、と言いながら歩いた。はやく春にならないかな、と私が言うと「もう春が大丈夫になった?」と聞かれて、少し考えてから、昔よりずっと春が平気になったと答える。

それから、どんな人に惹かれるかという話をして、「自分にないものを持っている人」と言う私に「自分にないものって例えばなに?」って聞かれ、さっきまでぺらぺらと喋っていたのに私は何も答えられなくなって静かになる。自分にないもの、自分にないと思ってるもの、相手にはあると思っているもの。それって一体何なんだろう。別に私は、自分にないものを持っているからという理由で人のことを好きになっている訳ではないよなあ、と思い直す。

いくさんは、ぽつぽつと小さな石を置くように話をする。ずっと昔から私のことを知っていてくれる人、遠くにいても気にかけて見ていてくれる人。たまにしか会わなくても、そういう存在に私はとても救われているんだと思う。見えない距離にいても私と繋がっている人はたくさんいる。そういう人がいてくれることをたとえ普段は忘れてしまっていても、たまにちゃんと思い出したい。

電車の時間が迫っていたので駅まで見送りに行く。またいつでも遊びに来てね、と言って別れた。ホームへ向かういくさんの姿が見えなくなるまで見届けてから、イヤホンをさして音楽を聴きながら家まで歩いた。


3月4日(月)

季節の変わり目でほんとにメンタルがぐらぐらで、朝ご飯を食べて仕事をしていたところまではよかったのに、有吉さんが起きてきてからは自分にぜんぜん余裕がなくなってしまい、同じ空間にいるのがしんどくなって外に出た。よく晴れていたけど、風が強くて結局かなり寒い。自分の状態を言葉で説明できたらよかったのだろうけど、言葉になる前の感情がこんがらがっていて、それを伝える気力も勇気もなかった。ぐちゃぐちゃした気持ちを誰かに聞いて欲しくて、春乃さんに電話をすると風が強くてよく聞こえないと笑われる。今自分は何がしたいのだろう、と考えて、いちごのフルーツサンドが食べたいと思って、ツルヤに行っていちごと生クリーム、薄切りの食パンを買った。なんだかずっと気持ちがさみしい。誰かにやさしくしてほしい、人にやさしくできなくて苦しい。

家に戻って、いちごを洗ってヘタを取って、食パンにクリームを塗る。1パックのいちごをぜんぶ使って贅沢なフルーツサンドを作った。

クリームの白に、鮮やかないちごの赤色がきれいで、作りながら癒されてゆく。自分の手を動かして何かができあがることに救われるような気持ち。完成したフルーツサンドを写真に撮って春乃さんに送る。断面があまりきれいにはできなかったけど、十分美味しかった。ひとつ食べたところで、結構お腹いっぱいになって、自分の欲なんてこのくらいで満たされてしまうのだなあと思いながら、残りをラップに包んで冷蔵庫に入れた。

一切れは有吉さんにあげることにして、マジックで名前を書いて置いておく。さっきはあまりよくない態度をとってしまって逃げるように家を出てしまったから、次に話すときには普通に話せるといいなと思う。

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3月5日(火)

Amazon primeで『Polaris』というドキュメンタリー映画を観た。主人公は、幼少期に母親から愛されなかった過去を大人になってもずっと引き摺っていて、人を愛することがうまくできず、愛情を表現されても信じるのが怖くて、つい疑ってしまう。その性格がまるで自分を見ているみたいだった。

映画を観終わると、母から電話がかかってきて「今日松本に寄る用事があるけど、お米を持っていこうか?」と聞かれた。「うん、お願い。ありがとう」と答えて、電話を切ったあとで、私はちゃんと愛されてきたのに、どうしてこんな風にいつまでも自信がなく、愛情がずっとむずかしいんだろうって思った。


昼過ぎから雪がたくさん降ってきて、大雪警報が出された。すぐるが車で迎えにきてくれてうめちゃん・すぐるの家に行く。

ふたりが引っ越しちゃう前にお家で鍋しようって誘ってくれて、今日は春キャベツと豚肉の鍋を食べた。(すぐる作!)

ふたりが引っ越してしまうことの実感がまだ湧かないけど、隣の部屋には荷造りされた段ボールが積まれていて変な気持ち。


ワインをたくさん飲んで、たのしい気持ちのまま雪の中をくるくる走ったり、止まったりしながら家まで帰った。


3月6日(水)

昼過ぎから駅前のサイゼリヤで作業。いつの間にか注文票の表記が数字に変わっている。

ハンバーグランチセットを注文して、ご飯少なめにしたらよかったっていつも思うのに普通のを注文してしまう。えりさんに「スピッツの曲で何が好き?」とLINEすると「魚」と返ってきて、イヤホンをしてその曲を聴く。


しばらくすると暖房のせいか頭がぼーっとしてきて、ドリンクバーでQooの白ぶどうスカッシュを飲んだ。仕事はぜんぜん捗らなかった。


3月12日(火)

雨が降っているのでホットケーキを焼く。フライパンを熱してから、濡れた布巾の上に押し付けるとじゅうう、と蒸気があがる。用済みのあたたかくなった布巾にいつもなんとなく触る。ホットケーキはきれいにまるくなって、焼き目は月面のような模様になった。

雨の日に焼くホットケーキは、空気中の湿度を生地が含んで、雨の味になる。生地と一緒にあまい空気を食べている。コーヒーの匂いも、いつもより濃く感じる。ざあざあ降っている雨よりも、しとしと降る雨の方がホットケーキは似合うと思う。



 
  • Writer: fuzuki hoshino
    fuzuki hoshino
  • Feb 5, 2024

2月1日(木)

午前中は大したことない仕事をさくさくすすめた。仕事をちゃんと進められると社会に紛れられている気がして安心する。その安心した気持ちのままスーパーへ行ったら、空腹の自分が何を食べたいのかまったくわからなくて、また社会から浮き出てしまったような気持ちに引き戻される。菓子パンとかきっと買わないのに、一応パッケージを見て、やっぱり要らないよな、ってなって、じゃあ私は何が欲しいんだろう?ってわからなくて静かにパニックになる。

散々ぐるぐる歩いた挙句、森永のムーンライトを買う。すてきな名前のいいクッキー。

「ムーンライトって中心のところに水脈みたいなみずみずしい部分を感じない?」と脳内で自分に話しかける。「めっちゃわかる。奥歯で静かにしゅん、って噛むと水脈を感じるよね」って自分が同意してくれる。


帰宅して、文芸誌に寄稿するための創作をどうやったら書けるかプロットのようなものを考えてみる。やればやるほど、全然おもしろくない気がしてきてつらい。

最近書くことがしんどい。書きたいものがあるのに全然そこに辿り着ける気がしない。どうやったらそこへ行けるのかもわからない。こういう時に限って締切を知らせる連絡がやたら来る。夕方届いたメールの件名が「〆切が近づいてまいりました」で、こんなに恐ろしい件名をはじめて見た、と思ってスクショを撮った。


2月2日(金)

夜中から発熱して38.3℃。眠れなくて、からだの節々が軋むように痛い。全身があつくて燃えてるんじゃないかって思う。

一日中倒れるように眠っていたけど熱がおさまる気配がまったくない。こんなに永遠に眠れてしまうのがこわい。鼻をかみすぎて、自分だけ膜に包まれているみたいに世界から少しだけ遠い。

からだがずっと熱いのに芯のほうは冷たくて、あらゆる関節が痛む。胸の真ん中に大きな穴が空いている夢を見て、穴のふちを触りながら私はこれまでに何を失ってきたのかを考えている。


2月3日(土)

からだの中に溜め込んだあらゆる要らないものを燃やし尽くそうとしているんじゃないかってくらい、激しく熱があって、それに何度も打たれるようにして気を失って、また気がついて、水だけ摂って、また眠って、と繰り返している。熱は38.5℃からさがらない。


週末、東京で会う予定があった人たちに連絡を入れた。会いたい人たちばっかりだったから、自分のふがいなさに落ち込む。仕方のないことだけど、もっと丈夫だったら……とどうしても思ってしまう。そして、そう思ってすぐに、いや自分よりも大変な人なんてたくさんいるのだから、という考えが頭によぎる。自分の問題を、自分だけのこととしてちゃんと大切にしてあげられないのはどうしてなんだろう。誰かと比べて程度を確かめないと自分の気持ちにすら確証が持てないなんて、自分が可哀想だと思う。


2月4日(日)

窓の外を見たら一面の雪だった。(ゆきだ……)と思う。(うまく声がでない)一晩眠ったら熱はだいぶ下がったようだったけど頭がひどく痛い。隣の家の屋根に積もった雪が、風が吹くたびに粉のように舞い上がって空に消える。

液晶が見られるくらいにはなってきたので、放置していた創作に取り掛かろうとするも、今日も書くことが怖い。書けない代わりに図書館から借りてきた短編小説を読んでいるが、それが文章と向き合うための行為なのか、現実からの逃避なのかわからない。


たまたま読んだ小説は、今もどこかにある世界の断面をそのまま差し出されたように活き活きとしていて、無駄なところがひとつもないと思った。85年前に書かれた作品のようだけれど、古くなくて、むしろずっとこの新鮮さを保ち続けながら読み継がれていくのだろう。

こんなに素晴らしいものが世界にはすでにあるのだから、私はこれからここに何を書いていけばいいのだろう。私が知らないだけで、素晴らしいものが世界にはたくさんある。

そういう事実は、いつもならただひたすらに心が躍ることなのに、今は素直にそう思えずに気持ちを拗らせている。


2月5日(月)

夢の中にSちゃんが出てきた。いま書こうとしている創作の中で、私は憧れという感情について書こうと思っていて、夢の中に彼女があらわれたことで、本当に私が憧れていたのはSちゃんだった、ということを真に思いだした。

当時はその感情にうまく向き合えなかったけれど、これはちゃんと書こう、書かなきゃ、と思って、布団から起きた。思えば、からだはずいぶん軽い。今日は声もちゃんと出るし、もう要らないものがからだの外に出ていったのかもしれない。(って思いたい)

そもそも、これまでやったことないことに取り組んでいるのだからわからなくて、うまくいかなくて当たり前なんだし、その自分のどうにかやろうとしている過程をもっと楽しんでいたい。

いつだって、書くことは行き当たりばったりだったけど、私はどうにかやろうとして、ここまでどうにかやってきたんだから、そのことにもっと胸を張っていてもいいはず。

なるべく楽しく書きたい。書きたいものを書けるように、うまくできなくても手を伸ばしつづけることを恐れないでいたい。


創作を少しずつ進めた。「街に大雪が降った」という文章を書いたら、現実が繋がっているみたいに、外にはたくさんの雪が降り始めた。もしこの調子でずっと降り続くなら、夜までに雪かきをしないといけないなあ、と思いながら今は窓の外を眺めている。

 
  • Writer: fuzuki hoshino
    fuzuki hoshino
  • Jan 25, 2024

1月16日(火)

年明けから書いた日記をホームページで公開するということを続けてやっていた。

日記は、自分の感情の整理やできごとの記録のためにやっていたはずなのに、気付いたら見られていることに意識がいってしまっていて、書いている自分と書かれている自分の乖離を感じるようになってきた。日記のリアルタイム性はおもしろいけど、私はそのできごとの延長の中で生きているから、その生煮えみたいな状態を人に差し出すことが、自分のメンタルにとってはあまりよくなくて、無意識に削られていくような感覚になることが段々とわかってきた。

書きたいけど、まだ読まれなくないことがあるし、本当に読まれていいのかわからないことに対して気持ちの決着がつかないうちは、すべてを不特定多数の人に公開するのはやめようと思う。今日からはまた元に戻して、自分のために、自分の気持ちを書いていくことにする。


朝からずっとどんよりしていて、何もかもがうまくいかないような鬱屈した気持ちでいて、有吉さんにもいらいらしてしまった。DVDで『アフターサン』を見た。ずっと自分の心がしんどくて内容が入ってこない。急にパウンドケーキが食べたくなって、家にあるもので焼いてみたけど、オーブンから取り出すときに火傷して泣きたくなった。何もかもがうまくいかなくて、ぜんぶやめたいし、自分が何をしたいのかわからない。こんなにいらいらするのは、ピルを飲み忘れ続けていることが原因かもしれない。ホルモンバランスがあきらかに崩れている。


1月20日(土)

外は霧で真っ白。冬の匂いがする。今日は雪がふるらしい。いまは朝で、すごく穏やかな気持ち。この穏やかさを言葉にしたくない、できればずっととっておきたい。

もう何日も晴れていないから、そろそろ太陽が見たいと思う。

本当はそこにあるはずの太陽のこと、ここにいると無いような気がしてしまう。本当はある、というのはどういうことだろう。ここにあるのを知っている、ということは、思い出すこと?

ときどき私は、実は全部を最初から知っていたんじゃないかって思うことがある。それは感覚的なことでうまく説明ができない。


1月22日(月)

朝起きれたので、「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」を聴きながら川沿いを散歩する。人がいなくて誰ともすれ違わなかったけど、普通に声を出して笑ってしまった。


洗濯を回したのに、ずっしりしてつめたくなった服を触るのがいやで、時期を逃し続ける。重い腰を持ち上げて洗濯機へ向かう。蓋をあけるとばらばらの衣服が激しく回されて、ひとつの大きくて重たい塊になっている。それを頑張って持ち上げてカゴに放り込んで、運び、一個になったそれを解体していく。ヒートテックの袖と、レギンスがぐるぐるに絡まって、これだから冬は!って憤りながら絡まりをほどいていく。干そうとしたら、前回の終わった洗濯物がピンチにまだ干しっぱなしで、それをぱちぱち落としてから、やっと干す段階まで辿りつけた。


午前中一回だけすごく外が明るく光って、晴れた!と思って気持ちを昂らせたらすぐにまたぶ厚い雲がやってきた。今日はその繰り返しみたいな、落ち着きのない日。


夜は家にあった野菜を煮込んでポトフをつくる。煮崩れてぐずぐずになったブロッコリーと最後に入れたパクチーがおいしい。大したものじゃないけど、久しぶりに自分で自分のために料理を作って食べた。


1月24日(水)

週末の展示の準備をしていて、おなかが減ったのでフレンチトーストを作ろうと卵を割ったら、中身をごく自然な流れでゴミ箱に捨てかけて「あー!」って声が出た。ぎりぎりのところでバットの中に落として、事なきを得る。フレンチトーストと一緒に薄く切ったりんごとベーコンも焼いて食べた。

最近ずっと頭の中がうるさくて、集中力が足りてない気がする。

自分が大切にしたいと思ってることをわかってもらえないのはかなしい、と数日前に思ったことを思い出す。それから、前に友だちが電話で「私は自分がこうしたいってことばっかりで、誰かの気持ちのことを一度も考えたことがないのかもしれない」って言っていたことも、一緒に引っ張り出されるように思い出していた。


1月26日(金)

寒いからか景色がものすごくくっきりしていて、山が迫ってくるように見える。真冬のきっぱりとした空の青。今日はよく晴れているから、光がたくさん当たりそうな道を選んで歩いた。


午後からは展示の搬入。屋根裏の部屋をみんなで掃除して、自分のスペースをつくっていった。

久しぶりに初対面の人と話をして、ばきばきに人見知りを発揮してしまう。それが予期せぬことだったので、若干落ち込みそうになるけど、夜もイベントがあるのであまりそれについて考えないようにして手を動かした。


夕方から栞日に移動して、Monthly Writing Clubの準備。その月のことを振り返って、何かを書いてきて、持ち寄って、それを読み合うという会を今年からはじめることにして、それの第一回目。

自分が企画者だと、来てくれた人が楽しんでくれているかどうかがどうしても気になってしまって、いい時間を共有できたと思いながらもお風呂に入りながら「大丈夫だったかな(たぶん大丈夫…)、あの人は楽しめていただろうか(わからない)、自分の発言は誰かを傷つけていないだろうか(わからない)」と、不安と大丈夫のあいだを何度も行ったり来たりしていた。どれくらい入っていたのか、お湯は冷めてしまって、取り残された子どもみたいな気持ちでじっと水に沈んでいた。


布団の中で目をつむると、帰り道に見たあかるい満月の色が目の裏に残っている。 だいたいいつも満月のときに生理になって、そのたびに自分のからだは容れ物なんだと感じる。


 

​日報

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