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  • Writer's picturefuzuki hoshino

取材のため福井県にいる。朝ドーミーインで目が覚めて、昨日の深夜に食べた夜鳴きそばがまだ胃の中にある気がしたので、朝食はとらなかった。

突然雷が鳴ると、雹がすごい勢いでばらばらばら!と音を立てて降ってきた。それが雨になったので、ミネさんとタクシーで駅前まで向かう。

取材先まではレンタカーで一時間くらい。レンタカー屋さんの女性が、口調はやさしかったけど、なんとなく動きに圧を感じてちょっと疲れた。車を借りる時に毎回事故を起こした際の保険について説明されるけど、いつもすごく不安な気持ちになりながら断る。そのやりとりがすごく嫌だなあ…と思うけど、向こうも仕事だから仕方がないのかも。あきらめる。


トンネルを抜けると、雪に変わっていた。3Dの映像を見ているような気分になって「わあ、3Dみたい…」と言ったけど、現実って3Dですよね…だけど、日常の中で立体感と距離感がうまく掴めない時がよくある。


取材先に着いてインタビューをする。集中していたらあっという間に4時間くらい経過していて、終わったらどっと疲れが出た。帰り道は完全にホワイトアウトしていて、周りが一面真っ白。乗りたい特急に間に合うように急いでレンタカーを返して駅に走った。

だけど、特急は吹雪で止まっていて、いつ来るかすらわからない状況。そわそわしてしまって、前に居た女性(そわそわしている)に話しかける。他愛のない会話「いつ電車来ますかね…」「どれくらい待っていますか?」「どちらまで行かれますか?」をしただけだけど、開放感があった。50分くらい待ったら特急のしらさぎが来る。自由席に座れた。 外は吹雪で、特急は牛のようにゆっくり進む。最初の経由地である金沢までぜんぜん辿り着かない。仕方がないので、さっきの取材の音声を文字に起こす。他にやることもないので、とても作業が捗った。スマホの充電が無くなってきて、不安になる。食料もないし、もし電車が止まったら…と考えるといろいろな自信が急に無くなった。心細い。金沢に2時間遅れで着いた。

それから、長野駅までの新幹線の切符を買う。動きますように…と祈りながら発券。 金沢駅のスタバに入ってiPhoneの充電をする。紅茶クリームのオートミールケーキ(正式な名称を忘れた)とソイラテを頼んだ。空腹が紛れて、充電も少しできたから少し安心。20分くらい時間があまったので、おばあちゃんたちにお土産を買った。

北陸新幹線は無事に動いた。気が抜けてビールを飲んだけど、このまま油断して大宮とか東京まで行っちゃったらどうしよう、と今度は不安になってくる。金沢から長野までは2駅ほどだから気を抜けない。それで、また文字起こしの続きをやった。今日取材した分の文字起こしを終わらせた。


長野駅に着いて、そこから在来線でおばあちゃんの家まで。電車は遅延していたやつがちょうどきてラッキー。へろへろになって帰宅。お腹は空いてなかったけど、なにか食べたくてお蕎麦を食べる。あと温泉卵。こたつがあったかくて、幸せを感じる。


風を防げる家があって、誰かが居て、ご飯があって、布団で眠れることがありがたい、と心から思った。こういう非常事態のときには改めて、日常が続くことのありがたさを身に染みて感じる。無事に家に(おばあちゃんの家だけど)辿り着けてよかった……人がいる、うれしい……安心してねむる。


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  • Writer's picturefuzuki hoshino

朝、普通に目が覚めた。体調もそこまで悪くない。昨日の臨場感あふれる死の予感は何だったんだ…(心配かけた方すみません)


昨日は本気で、今ここで死ぬかもしれない!!と、すごくリアルに想像することができた。すると、「今から何をしたいか」ではなく「これまで自分は何をやってきたのか」ということをたくさん考えた。

今からジタバタしても仕方なくて、これまでの人生の自己満足度がどうだったかを内省した。それ(人生)について評価するのも自分だし、もちろん主体になっているのも自分で、他人が介在する余地がまったくなかった。


死について話題に出すのはあまり歓迎されることではないかもしれないけど、自分が死ぬという事実について考えて、そこから逆算して人生のやりたいことを考えてみるのはとてもいいことだと思った。思考がシンプルになるし、やりたいことをまっすぐやろうという意欲が湧く。人が死ぬのは悲しい。動物が死ぬのも悲しい。だけど、仕方がないらしい。だったら、生きているうちに会いたい人に会って、なるべく楽しく時間を過ごしたいと強く思った。


昨日は何かに取り憑かれていたような気がする。(昼間に散歩した神社にすごい気が満ちていたのは関係があるのかないのか)

真冬なのに、窓を開けなきゃ!と急に思って、窓を開けたら夜の気配がすごい勢いで入ってきて、それに押しつぶされるように体が重くなって動けなくなった。 思考まで重い感じになってきたので、残った力を振り絞って、塩を舐めないと…と本能が塩を求めたので、大きめの岩塩を嚙んだけど最初は味がしなくて、しばらくしたら塩の味がした。からだの重さが徐々に抜けて、もう一度ベッドに入って、明日を迎えられるだろうか…と頭の片隅で思いながら意識が消えていった。


正直、昨日の日記を書いたのもあまり記憶になくて、読み返してみたらやたら暗いし、これは人を心配させるわ…と反省する。 あくまでも主張しておきたいのは、私は死にたいとか、死のうと思ったわけではまったくなくて、生きたいとすごく思う立場に居ながら、現実的にやってくる死についてたくさん考えを巡らせながら、自分の生に向き合いたいと思っている。


私が書くものは暗い、とよく言われるけど、自分では一度もそう思ったことがなくて、その理由を考えてみると、そういう題材が私にとって一番リアリティを感じられる”生”だからではないだろうか、と最近は考えている。



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  • Writer's picturefuzuki hoshino

胃のあたりが気持ち悪くなってベッドに横になる。足がすごく冷たくて、このままひとりで死ぬんじゃないかと突然思った。今までに感じたことのないくらいリアルに自分の死を思った。

一人暮らしなのでこれで死んだらたぶん発見されるのは早くとも金曜日になるだろう。(母と妹が家に来る予定だから) 身近な人には私が死んだという情報が自然と知れ渡るとして、オンラインでカウンセリングを受けている先生や、SNSで繋がっていて、自分の死を知って欲しい人にはどうやって伝えればいいんだろう。一番信頼できて、死後の連絡や、持ち物の処分などをお願いしたいのは妹で、そういうことの一切を頼んでおこう、と思ったけど本当にこのまま死んだらそれを伝えることすら叶わない。

意識がはっきりしているのか、朦朧としているのか、よくわからない状態になってきて、まだ伝えたいことがあるのに伝えられていない人への後悔が生まれる。

それから、もう一冊くらい本を書きたかった、と思う。それは、夜の暗闇の美しさを描いたような物語で、装丁もなんとなくあたまのなかにある(というか突然浮かんできた)。

明るくて、愛に満ちた母のことが好きだとすごく思った。父も。妹はパートナーのように信頼していて、親友みたいに話すことができて楽しい。いつも自分の家族が不完全だと思って生きてきたけど、いまは、なぜかすごくこの家族のもとに居られたことがうれしいと思う。

最近老いて、よろよろしている猫よりは先に死にたくなかった。突然、感謝の気持ちが湧いて止まらなくなって戸惑う。


次に住む家は広くて、誰かと暮らしていて、それは楽しい暮らしになるはずだったから、体験できなくて残念だった。私はこれからもっとさらに良くなっていく予定だったから、もう少し長く生きられたらよかったと思う。知りたいこととか、学びたいこともまだあった。

過去の記憶より、なぜか視覚化されている少し先の未来の映像ばかりが頭の中に浮かんだ。そこには希望や願望も含まれているのだろうけど、かなり明るいものだった。


そうこうしているうちに、足の方にもあたたかさが戻ってきて、今度は全身があつくなってきた。頭は相変わらずくらくらしているけど、とりあえずこのまま死んでもあとの手続きに家族が困らないように、残せるメッセージだけは書き留めておこうと紙とペンを取る。

電気を点けたら、部屋は見覚えのある明るさになったけど、どこか雰囲気や匂いがちがう。

自分自身がいつもの状態ではないのかもしれない。体調が悪いのか、そうでもないのか判断がつかない。ひとりきりで死ぬのは、すごく孤独な感じがしてさみしい。だけど、人が見ているところでひとり死んでいくのも、想像するだけで堪らない気持ちになる。

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​日報

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