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  • Writer: fuzuki hoshino
    fuzuki hoshino
  • May 31, 2023

昨日、自分に起きた出来事があまりにもつらすぎて、気持ちが押しつぶされそう。最近の楽しかった思い出を縫い合わせるみたいに頭の中で繋ぎ合わせてみようとする。どうにか心が大丈夫になるように。


昨晩、証拠物品があまり自分の手元にないことがわかって、不安な気持ちが湧いて焦った。朝になって、あまり眠れなかったみたいで、頭痛がする。 今日また警察署に行かなくてはいけないのだけど、すごく気持ちが重かった。


いろいろなデータを見返してみたけど、該当するファイルは、自分のスマホに残っている、という事実だけで気持ちが重くなってしまうのですべて削除してしまった。

そのことを警官に伝えたら「じゃあ、証拠ほとんどないってことですか」って残念そうに言われて心が割れるかと思った。その態度を思い出すと、また自然と涙がでてくる。

パソコンを開いて、Googleフォトを漁ってみたり、Gmailのゴミ箱に入れてしまったメールを復旧させる方法などを調べるが、内容があまり頭に入ってこない。結論を先延ばしにするような文章ばかりで嫌になった。


今日は有吉さんが一緒についてきてくれた。また昨日の担当者が出てきて、彼の姿を見ただけでその場所に居たくなくて逃げ出したい気持ちになった。今日の態度も酷かった。

部屋から出て、有吉さんが開口一番に「あんなのひどすぎるよ」って言ってくれて、わたしは階段で崩れ落ちるみたいに泣いた。


歩いてロイホまで行った。朝からなにも食べていなかったので、食べたいもの何でも食べようって言って、いろいろ目についたものを頼んだ。季節限定のアップルマンゴーパフェがおいしくて、やっと笑えた。笑っていたら涙がまた出て、笑いながら泣いた。


やっぱりあの対応はおかしいから担当を変えてもらえるようお願いしたほうがいいと思う、と有吉さんが提案してくれて、また来た道を戻った。わたしはもう建物の中にはいるのがつらくて入れないので、駐車場の木陰で座って待っていた。しばらくすると、有吉さんと女性の警官が出てきてわたしの隣に座った。昨日の担当者男性の無礼について、彼女はなにも悪くないのに謝ってくれた。今後は彼女が対応をしてくれるみたいで、目を見てわたしの話を聞いてくれた。


「わたしはすごくこわくて、助けて欲しくて相談したのに、どうしてこんな惨めな気持ちになっているのか意味がわかりません」と言った。やっとそうやって言うことができた。


昨日の男性警官の前に座っていたら、なにもわかってもらえない、何もきいてもらえない、という絶望感に飲み込まれて、だんだんと言葉が出なくなってしまった。

密室にふたりきりで閉じ込められて、高圧的な態度を示されると、もう何も言いたくないという気持ちになって、そうかこれが言葉を奪われるということか、と思った。

話そうとすると泣いてしまって、そんな自分を見る彼の冷ややかな目線が忘れられない。


こんなのってやっぱり絶対におかしいと今は思えるけど、どうしてもひとりじゃそんな風に思うことができなかったと思う。

恐怖によって人を抑圧する行為は本当に許されてはいけないことだし、わたしはぜったいに言葉を奪われたくない。こうやって書くのだってすごく怖いけど、なんでわたしが怖い思いをしなきゃいけないの、って思ってる。本当はもっと怒りたかった。


こうして書くのは自分のためでもあるけど、自分に似た経験をした人、してきた人、これからしてしまう人のためにもわたしは黙らないし、黙りたくないって思う。

こんな強気なことを書いているけど、実際はもう体も心も疲れてしまって、ちょっとしばらくはだめかもしれないと思う。楽しいことをたくさん考えるようにしたい、元気になったらまた人に会ったりしたい。


 
  • Writer: fuzuki hoshino
    fuzuki hoshino
  • May 21, 2023

昨日、うめちゃんに誰にも言わないでおこうと思っていた話をひとつ打ち明けてみた。

もしかしたら動揺させてしまうかもしれないな、と思っていた部分で、うめちゃんが動揺しないでいる素振りを続けてくれたから、わたしの話すことにたいする覚悟みたいなものが決まって、なるべくまっすぐに自分の気持ちを言葉に乗せられるように努めた。


普段わたしは、受け取ってもらえるかわからない不安と、できれば受け取って欲しいという期待を心の中にちょうど半分ずつ持っていて、それをぐらぐら揺らしながら話をしているような気がする。

うめちゃんの前にいるときは、きっと受け取ってもらえるだろう、みたいなどっしりした安心がわたしをそこに居させてくれて、打ち明けてみたいという自然に湧いてくる気持ちを解放してあげることができるし、自分にしてはめずらしくまっすぐ目を見て話すことができた。


この前、友だちのもうすぐ一歳になる赤ちゃんを抱っこしようとしたら、初対面のわたしに見られることが恥ずかしかったみたいで、近づこうとすると照れながら顔を背けられてしまった。何度やっても、ちがう方向から近づいても、ずっとそれが続いて、友だちが「恥ずかしいんだね」と言った。

人から顔を背けようとするその様子がどこか自分に似ていると思って、恥ずかしい、って何のために起こる感情なんだろうって思った。

何が恥ずかしいの?どうして恥ずかしいの?あなたを恥ずかしくさせているものは何?じゃあ、わたしはどうして恥ずかしいんだろう。


恥ずかしいことだよ、って言われたことがある。たしか保育園の年中のとき。 給食がいつも全部食べられなくて、先生がわたしの机の横に立ってそうやって言った。どう頑張ってもこれ以上からだに食べ物が入らない苦しさでいっぱいになって、たぶん本当は泣きたかったけど、苦しすぎて泣くこともできなかった。

みんなはもう掃除をはじめる準備をしていて、自分の机だけが離島みたいにぽつんと教室の中に残された。そのときに、この気持ちが”恥ずかしい”なんだと思った。


本当はこんなことを書く予定じゃなかった。 最初はもっとちがう方向に話を進めながら、着地したい場所みたいなところがあったはずなのに、かなり遠いところに来てしまった。 どんなところを目指していたのかと言えば、こういう、自分の脈略もない昔の話とか、個人的な記録が持つ意味みたいなことを最近考えていて、言葉として残ってしまうことの違和を感じることが増えた。

だけど、もしも自分が灯台だったとして、言葉が点滅する光なら、やっぱりそれをやめないでいたいというか、やめずにいてほしい、という気持ちが自然に湧いたことを書いてみたいと思った。

今日の朝、うす暗い海の近くにある灯台の夢の中にいて、孤独に点滅を続ける信号の光を見ていた。そして、ただ点滅を続けることがとても重要なことなんじゃないかって思って、うまくはたらかない頭で、うまくできなくてもいいから、と思いながらこれを書いている。


今日はとても暑くなるみたいで、やっぱりはやくクーラーをつけなきゃだめだね、って同居人に言おうと思ってること、もしお昼過ぎに起きられたらアケルマンの映画を観に行きたいと思ってること。枯れた植物を燃えるゴミの袋にいれることにいつも抵抗がある、と思いながらもそのまま袋に突っ込んでしまうこと。

こういうことは別に書かなくてもいいかな、と思って、そう思ったことを忘れていた。そしてまた別のことを書きながら、なぜか脈略もなく思い出した。


どうしても書きたいこと、書きたいと思ってしまうこと、書かなくてもいいと思うことの間にあるもの。それが一体何なのか知りたい。

 
  • Writer: fuzuki hoshino
    fuzuki hoshino
  • May 6, 2023

昨日は満月で、厚い雲の中からその光がひろがっているところが見えてきれいだった。夏のはじまりみたいなひんやりしている、どこかさみしい夜だった。

寝る前にまた地震があった。揺れている、と思ったけれど、思っただけでなにもせずに、眠気に飲み込まれるようにしてそのまま寝た。

それで朝になった。外はまだ静か。曇っていて、風はなかった。散歩に行った。


いつも行く高台にある公園、というか墓地でちかくの山、それから遠くの山にかかっている雲を見る。普段ならここからもう少し足を伸ばして、しばらく無目的に歩くようにしているけど、今日はなんとなくこれ以上進む気持ちになれなくて、大きめの石に座って景色を眺めていた。


私のパソコンには、"Yes-いいよ-"というステッカーが貼ってあって、だけど最近の私はずっとNoの感覚にちかく、それは生活の変化、それから自分の変化(というより変化したい、しないとしんどい、という気持ち)、そこからやってくる疲労にうまく対応することができず、気持ちが溜まり滞って進めないような感覚がずっとあった。先月はわりとずっとしんどかった気がする。


滞ったり、どうしようもない気持ちの中にいると、何が自分を苦しい気持ちにさせているのか、ということをよく考えた。

そして結局いつも同じところに戻ってくるのだけど、自分が持っている価値観とか、ひどく狭い考え(特に同じ言語を話せるという条件だけで、価値観や、倫理観みたいな大きな前提までも相手と共有しているような感覚に勝手になってしまっていることに痛いほど気付かされた)によるもので、そこから少しでも自由になるために、本を読んだり人と話をしたり、じたばたと動いていた一ヶ月くらいだった。


おもしろくて、助けられたのは、からだや体癖から人をみる、という野口整体をベースにした考え方や、占星術などの自分ではどうしようもできないくらい大きなものによって世界が、そしてそこに含まれている自分が動かされているというような思想だった。

知ること・学ぶことで視野がひらけていく感覚があって、それが何歳になってもずっと失われないことは、本当に希望だな、と感じる。



そう、それで、今朝は石に座りながらぼんやり遠くのほうを見ていたときに、YesにするためのNoだったのかもしれない、と突然思った。その言葉には手応えというか、何かにふれることができたような感覚があって。


これまでも何度も潜っては、浮上、みたいなことを繰り返してきて、だけど日々はその動きの中にありながら点のようでしかなくて、全体の中で自分の現在地を見つけるようなことは結構むずかしいと感じる。

綿みたいな感情ばかりがからだに溜まって、日々がどんどん流れ続けていくのを眺めながら、何も書けずにいたことは私にとってはとても苦しいことだった。


ことばは世界を表現するためにあるのではなくて、世界を変えるためにあるのである、と誰かが言っていて、私は書くことで変わっていきたい、と思う。

書いたあとの自分が、書く前には見えなかったものが見えるようになって、そこから私が変わるから、世界もいっしょに変わっていけばいい。そんなことを、今は思っている。



 

​日報

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